中1の冬にいつものメンバーで遊んでいたらバンドをやっている中3のヤンキー先輩に呼び出され、
「おれら来年卒業だしバンド解散すっから。そのかわりおまえらバンドやれや、バンドやってねえとxx中(隣町のヤンキー中学)になめられっからよ」
と言われて強制的にバンドを組まされた。
「楽器はジャンケンで決めろ」と言われたので4人でジャンケンをした。
1抜けのかっちゃんはギターより弦が少ないという理由でベースを、2抜けの俺は歌うの嫌だしドラムは疲れそうだったからギターを、3抜けのまさちゃんは「多分母ちゃんが買ってくれる」ということでドラムを(まさちゃん家は金持ち)、ビリのみやもっちゃんはボーカルになった。
「じゃあこれ渡しとくから練習しとけ。あとで俺らの前で演ってみろ」つってBOOWYのスコアを渡されてノーニューヨークをコピーすることになった。
練習場所はまさちゃんち。まさちゃんちはEXPO'85のときに自宅をペンションに改造しており今はほとんど空き部屋になっていた。三階の一番端、6畳洋間がおれらのスタジオになった。
一通り機材がそろったのが1週間後。ギターとベースとアンプは先輩からのお下がり、ドラムはまさちゃんの親が通販で買ってくれたTAMAのツーバスモデル、ボーカルは生で歌うかギターアンプにシールドを二本刺しにした。
学校が終わると毎日まさちゃんちに集まってドガスカやっていた。音出していいのは18時までというルール。防音もない部屋でドガスカやるのは田舎とはいえさすがにうるさかっただろうな。たまに近所のシンナー中毒あんちゃんが「うぅぅぅぅぅるせええええええええええ」ってガンギマりしながら乗り込んできた。もちろん逃げた。
はじめてのライブは年が明けてからまさちゃんちの三階スタジオにて。客はバンドをやってた先輩4人。
ダダダッ、シャワーをーあーびーてえー、うぉうぉううぉー、シーザビューティーフェース、うぉううぉう
「ふーん、いいんじゃねえの。俺らマリオネットできなかったから今度マリオネットやってみ」
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というのがギターを始めたいきさつなんだけど、あのときジャンケンで2抜けしてなかったらギター弾いてなかったかもしれないし、バンド自体やってなかったかもしれないし、ジャンケンで人生が決まることもあるかもなあ、怖いなあ、と思った。